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はねうまのマレビトの旅を終えて 

2023年10月から11月にかけて、私minarinは、「演劇クエスト はねうまのマレビト」の旅で、えちごトキめき鉄道 はねうまライン10駅を、まわりました。今年の秋は、暖かい日が多く、青空の日ばかりで、街歩きを楽しむのに最適だったなぁと思います。いちばん最初、駅のコーナーへ「はねうまのマレビト」の本をもらいに行った時は、ドキドキで。駅員さんから「あ、あの人、あの本持っていくんだ」って見られているような気がして。ただの自意識過剰(*^^*)なだけですけどね。

私はといえば、駅を利用するのは、旅行に行く時くらいで、現在の私のおもな移動手段は、車です。学生の頃は、自転車通学でしたし、上京していた数年間は、親が駅まで迎えに来てくれていましたので。その頃から考えても、駅を利用することはあっても、最寄り駅以外の駅周辺を歩くだなんて、めったにないことでした。私の利用頻度はさておき、えちごトキめき鉄道は、新幹線が乗り入れる駅もありますし、観光列車もいろんなイベントが増えて、輝きを帯びてきた感がありますね。

さらに時代をさかのぼり、脇野田駅付近に、新幹線駅ができる構想が持ち上がった頃から考えると、完成まで、結構時間がかかっていて。その間、通勤時、新幹線の高架工事の様子を毎日見ていたんです。ところが、高架はできたのに、いつまでたっても新幹線開通の一報がなく、本当に、この地に新幹線なんて走るのかなぁと、半信半疑の気持ちでいました。沿線が第三セクターの管理になると知った時も、「嘘でしょ⁉」とショックを受けたことを覚えています。「青春18きっぷ」のエリアから外れちゃうし、電車賃も値上げになるのね、と。「えちごトキめき鉄道」の名称も、どうして佐渡のトキがモチーフになったの? と、あれこれ疑問を感じることもありました。

さらには、えちごトキめき鉄道が開業した後も、「雪月花」に対して、「高いお金を払ってまで、こんな何もない景色を、誰が見に来るのだろう?」と正直、思っていました。お酒やお食事、設備だって、すごくいい企画には違いないけれど、あまりにも見慣れた風景を走るので、だいじょうぶかなと心配でした。この土地のよさやありがたみがわからなかったのですよね。たしかに、私がよその土地で暮らしていて帰省した際、田んぼの風景や妙高山を見た時、ほっとした気持ちを感じましたけれど。でもそれは、故郷に帰ってきたゆえに、よく思えるのでは? と。このよさが、マレビト(地域のコミュニティの外から来た人=稀人)に伝わるのかどうかは、体験していただかないとわかりませんものね。自分的に、妙高市は、自然に囲まれて、食べ物が美味しくて、それだけでよきところだと感じています。

妙高市は、ここ20年ほど、前の入村市長が、観光に力を入れて来ました。ありのままの自然を提供できるのが、妙高地域の素晴らしさなのだと。遅ればせながら自分も、そのことにようやく気づきはじめました。ただ、自然って、あまりに近づき過ぎると、脅威になってしまいます。その点、このあたりって、ただ緑が多いだけでなく、山や川が、人間を脅かさないくらいの絶妙なロケーションにあって。上越市も含めれば、北前船、城下町、春日山城、遺跡、など、人の歴史を感じさせる文化財が残っています。自然も歴史も、おいしいお酒や食べ物まで揃っているこの沿線は、深堀りすればするほど、素晴らしいところだと思えてきます。

長々語ってしまいました。最後に、妙高市文化ホール開館40周年記念事業 演劇クエスト 妙高・上越版 はねうまのマレビト のレビューは、これをもって終了します。コロナ禍で、移動が制限されていた最中、演劇クエストのような遊び心ある冊子を、無料で作って配布してくださって、本当にありがとうございました。

はねうまのマレビト 妙高高原駅編

江戸時代に設けられた「関川の関所」は、北国街道のなかで、佐渡金山の金銀を運ぶ道の、国境として重要でした。

「関所」は、古代、中世、近代にいたるまで、軍事防衛、情報規制、有力者の収入源、治安維持、旅人の監視など、その時代に合わせた役割を担っていました。織田信長が一度、関所を廃止しましたが、江戸時代で復活し、1697年に「関川の関所」が、設けられました。関所が完全に廃止されたのは1869年です。関所がなくなってからは、人の移動がたやすくなり、流通も活発化し、経済が発展していったといわれています。

今回の旅は、その「関川の関所」がゴールでした。「関川の関所」は、新潟県と長野県の、県境に位置しています。冒険の書には、地図がないので、山で迷って熊に遭遇でもしたら大変だと思いましたので、あらかじめ、Googleマップで行き先を調べ、スマホのGPSを頼りに行ってきました。

駅の近くに「妙高温泉」があり、「香風館」で、日帰り温泉入浴も可能です。

最初、妙高高原駅を背にして、左方向へ歩いていくと、分岐点があり、右手に急勾配の細い道「歩行者専用道路」が見えます。私はそこを通りましたが、落ち葉が分厚く降り積もっているので、雨が降ったらすべりやすいのではと感じました。とはいえ、香風館へ歩いて行く際は、近道になります。

駅から離れるとひたすら、登り道です。主要道路は広くて見通しがよいですが、歩く場合には遠回りになりやすいんですよね。かといって、土地勘がないまま、道を逸れて、古い石段や急勾配の獣道を行くのは、私有地を通ることになりそうで、できません。山道は、常に危険が隣り合わせ。ニュースでも毎日のように、「クマに注意」とうたわれていますから、油断はできません。

妙高高原駅から、天神社の御神木、大きなイチョウの木のある旅籠ろうそく屋のあたりまで歩くと、結構な距離があります。私は、観光案内所で車を停めて、香風館近くまで歩き、一旦戻って、関川の関所まで車を使わせてもらいました。逆に、関所の方面から「犬のくぐり道」を通って、旅籠ろうそく屋と天神社へ行くことにしたのです。※写真は、冒険の書の順に掲載しています。

犬くぐり道は、時代劇の決闘で出てきそうな、木立や川原のほとりを行くことになります。

犬くぐり道は、「クマに注意」の看板はありませんでしたが、この場所こそが、クマの一頭や二頭が出ても不思議を感じない場所でした。きっと「はねうまのマレビト」を読まなかったら、場所すら知らず、来ることはなかったでしょう。江戸時代、女の人が命懸けで通ったといわれるこの山道を、なんとも言えない身の危険を感じながら、通ってきました。

冒険の書に、「二人プレイ」とある通り、一人で行く場所ではないなぁと、肌身で感じました。パラグラフは、一人でも進められるので、関所に興味があるかたは、行って見て来られるといいと思います。ただし、倒木もあったので、気をつけてくださいね。大きな木に圧倒されて、秘密の山道が通れて、お土産のスイーツも買えて、最終的にはほっと一息つけました。次回は、温泉にも入りたいな。

もちや菓子舗さんのシュークリームに癒されました。

最後に、お土産購入のために立ち寄った「もちや菓子舗」さんのシュークリームは、焼き加減のちょうどよいシュー生地とまろやかなクリームが合わさり、食感がやわらかすぎないところも、とっても美味しかったです(๑>◡<๑) 月餅も独特の美味しさでした。愛のあるお菓子という感じで、また食べたくなる味でした。

はねうまのマレビト 南高田駅編

佳さんの名前に仕掛けが隠されていました

南高田駅のはねうまのマレビトの旅は、佳(よし)さんが主人公でした。佳さんのことについては、生まれも育ちもわからないまま、話が進んでいきます。じつは、名前に重要なヒントが隠されていて……。作者の言葉遊びかもしれません。おもしろいなぁと感心しました。

オリジナルストーリーだとわかってはいるのですけど、実際の風景を見て、「ここでそんなことがあったの……?」 と、猫又神社や、青田川に想像力を働かせてしまいました。水量は少なめでしたが、川べりに住宅があるから、水は少ないほうが安全に思います。

戦時下に置いて重要な拠点だった、南高田駅周辺

なおも、足を伸ばすと、冒険の書には触れていない「旧師団長官舎」の看板が見えてきました。こちらは明治期の建物で、旧日本陸軍第13師団だった長岡外史さんが建設したものを移築したとのこと。洋館とよぶにふさわしい外観です。長きに渡り、自衛隊高田駐屯地で幹部宿舎として使用されていましたが、現在は、歴史博物館兼レストランになっているようです。

陸軍第13師団は、日露戦争から日中戦争にかけて編成された師団。日本がロシアや中国と戦争をしていたことを物語る事実にふれて、空想でいっぱいになっていた私の頭は、冷静さを取り戻しました。

街歩きをすると、普段の自分と違うことを考えるきっかけが得られます。地域の人が町おこしにと頑張っているものは、伝わって来ます。はねうまのマレビトの旅がすべて終わっても、私は、街歩きを続けていくかもしれないと、このところ、思うようになってきました。