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はねうまのマレビト 関山駅編

今回は、「名前のない男」になり、関山駅周辺を、歩きました。本の番号をたよりに、関山駅の跡地へ。昔、スイッチバックがあった場所です。人の手が入らないと風化してしまいますね。その光景に、複雑な気持ちになりました。

そして、冒険の書では、関山神社に行くことになります。私が行った日は、鳥居の前の花壇を手入れされている方や、神社のなかを案内してくださる方がいて、ご厚意に甘えて、説明を受けることができました。

特筆すべきは、上杉謙信から賜われた、二体の龍の刺繍がある赤い旗や、仏足石を間近で拝見できたことです。古くから伝わるものには、どのように作られたのかと、不思議な気持ちが湧き起こります。正に、本物のスピリチュアル(霊性、神性)が持つ力なのでしょう。

関山神社が、今回のマレビト旅の終着地点です。現在、関山神社周辺は、住宅街になっていますが、鳥居は遠くからでも見えます。鳥居に向かって左方向の、道の向かい側に、仏足石が祀られていますので、冒険の書には記載がありませんが、よかったら、見て下さい^^

妙高山/’-‘\

桜と妙高山 はねうま大橋から撮影しました。うっすらと「はねうま」が見えます。
初夏の妙高山 矢代川の川べりを、散歩中の一枚です。
国道18号から眺める妙高山 信号待ちで停止中に、車中から撮影しました。
夕暮れの妙高山 沈んだ夕陽に照らされて、まるで影絵のようです。

妙高山の名前の由来

妙高山はいつ誰が名付けたの?

妙高山は、別名越後富士とも呼ばれる、日本百名山のひとつです。そんな妙高山の名前の由来について、調べてみました。

山名は、古くは「越の中山」(こしのなかやま)と呼ばれていたものが、好字二字令により「名香山」と当て字され、それが「みょうこうざん」と読まれるようになり、「妙高山」の字が宛てられたものである。

byウィキペディア

なるほど! 越の中山とは! そのほうが、地元民が考える、親しみやすい山の名前かも(*^^*)←あくまでも私見。

というのはですね、昔、同じことを調べた時、「妙高山は、古代仏教の須弥山から引用されている」と聞いたことがあったので。それですと、なぜに古代仏教? と不思議だったんです。どうやら、仏教が伝播した後に、当時の修験者たちによって、妙高山と名付けられたようですね。

妙高山という山名が記録に現れるのは室町時代と言われていますが、それ以前から妙高山を中心にその周辺の山々は修行する道場になっていました。妙高の名の由来については、その当時の修験者たちが仏教世界の中心にそびえる聖なる山、「須弥山(シュメール)」に見立て、訳語である「妙高」をあてて、こう呼ぶようになったと考えられています。

by生命地域妙高環境会議さま

妙高山は古代から信仰されていた?

 日本にも、山岳信仰というのは、古くからあったそうです。山自体、人間がすべてを管理できないほど懐の大きな存在で。日本の里山となれば、畏怖と癒しのどちらも感じられて、畏れ多いような近しいような……。私としては、妙高山には、親しみも感じています。 妙高山には、大人になってからは登っていないのですけど、中学生の時に、大勢で真夜中に出発して、日の出を見るために、登山しました。もし地域に、妙高山がなかったら、どうだろうと考えると、やっぱり寂しいです。古代から信仰されていたかどうか、実際のところ定かではありませんが、私が古代人だったら、やっぱり、崇めていただろうなぁと思います。←結論になっていない?(^_^*) ちなみに、妙高山を霊山として崇めるために、関山神社ができたと云われています。郷土の歴史を知る限りでは、信仰されていたのは間違いないようです。

誰に名付けられなくても山は存在し続ける

 山は不動であることの象徴です。動かざること山の如しって言いますものね。土地の名称って、市町村名や国名単位で考えても、戦争で滅ぼし合ったり、区画整理をしたりしているうちに、変化消滅してしまうものだと思います。栄華を誇った場所も、歴史的な価値ある場所も、何百何千年後かには、天変地異で、跡形もなく、消滅してしまう可能性もあります。その中で、スケールの大きい山は、人間の都合になどに左右されず、どんと構えているわけです。

 もしも、山に、心があるなら……悠久の時をどのように感じ、過ごしているか、聞いてみたいなぁ。人間のことをどう思っているだろう? ひとつの場所に、どっしりと構える秘訣があれば、教えてもらいたいです。

 妙高山は、私にとっては、いつもそこにいて見守ってくれる、大切なお山です。故郷の山に対しては、やはり、格別な想いを抱いてしまいますね。ありがとう! これからもよろしく! 妙高山(*^^*)/~

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